国境を超えてたくさんの人が訪れる「Eclair Affair」
「唯一、このお店の欠点を挙げるとすれば、オランダ南東の街マーストリヒトにしか店舗がないことだよ」
たっぷりの生クリームが絞られたエクレアを頬張りながら、ドイツからやって来たという男性は語る。
マーストリヒトは東はドイツ、西と南はベルギーの国境に接している。ローマ人によってつくられたこの街の歴史は紀元前にまで遡り、「オランダ最古の街」とも言われている。19世紀にオランダの都市となるまでに、20回も統治国が変わってきたという波乱万丈の過去もある。
そうした歴史をくぐり抜けてきたマーストリヒトは、同国の首都・アムステルダムなどほかの地域とは異なる、独自の文化が発展してきた。美しい建物がたち並び、ファッショナブルなローカルブランドのショップも多くある。オランダに住む人だけでなく、世界中の人を虜にしているこの街は、食においてはフランスや隣国のベルギーの影響を受け「美食の街」としても知られている。
そんなマーストリヒトで、地元の人はもちろん、ドイツ人、ベルギー人が国境を超えて足しげくやってくるお店が「Eclair Affair(エクレア アフェアー)」だ。
「私のエクレアの特長を上げるとしたら、ユニークなこと。デザインはもちろん、ほかのお店で使っていないような高価な素材を使っています。ペストリーに使うフルーツも、その時々でベストなものを探し、小麦粉もオリジナルブレンドです」
そう話すのは、Eclair Affairのオーナーシェフのターニャさんだ。
Eclair Affairはマーストリヒトの中心を流れるマース川のそばに店を構えている。店内にはエクレアを中心に、ペストリーやクッキー、チョコレートなど、さまざまなお菓子が並ぶ。ターニャさんがペストリーをつくり、夫のアレックスさんがチョコレートを手がけているという。
「新型コロナウイルスが勃発しはじめたころに、お店をはじめました。街中のほとんどのショップは閉まっているなか、私たちのお店はオープンしていたのを覚えています。スイーツはテイクアウェイできるので、なんとかお店を続けられることができたんです」(ターニャさん)
「悔しいけれど、パリのパティスリーより美味しい」
ターニャさんとアレックスさんが生み出すスイーツの数々は、これまで、多くの人を夢中にしてきた。
――「本当に美味しい」
――「オランダでエクレアやマカロンなど、本格的なフランス菓子が食べられる。『週末旅行でパリまで行くは遠い』と感じる人にもおすすめ」
――「Eclair Affairはマーストリヒトの宝石!」
パリジェンヌが「認めるのは悔しいけれど、私の家の近くにあるパティスリーより、ずっと美味しいマカロンね」と認めたという話もある。
味はもちろんのこと、ターニャさんが手がけるエクレアやマカロンの数々は、どれも美しい。
これまで、さぞかし厳しい修行期間を積んできたのだろうと、ターニャさんに経歴を尋ねると、驚きの答えが返ってきた。
「実は、私は長い間モルドバ共和国の政府で、弁護士として働いていたのよ」(ターニャさん)
ユニークなエクレア店は、経歴もユニーク
モルドバは、西はルーマニア、他の三方はウクライナに囲まれた東ヨーロッパの内陸国だ。平坦な国土と気候から、ぶどう栽培に適しており、世界最古のワイン生産国の一つとしても有名だ。
ターニャさんはそんなモルドバで生まれ育った。
「昔から、人が傷ついたり、悲しんだりする姿を見るのが嫌だったんです。『誰かのためになる仕事をしたい』そう思って、弁護士を志しました」(ターニャさん)
大学院を修了した後、弁護士の資格を取得し、モルドバの政府に入った。誰もがうらやむような”エリートコース”だった。
「やりがいはあったけれど、業務はとてもハードなものでした。たぶん、私に合っていなかったのでしょう。憧れてなった弁護士なのに、仕事を終えて帰宅した後は毎日泣いてばかり。そんな様子を見た家族は、私のことをとても心配してくれていました」(ターニャさん)
当時を振り返り「ストレスフル」だったと語るターニャさん。転機になったのは、友人から誘われた、モルドバのスイーツフェスティバルだった。
「自分でつくったスイーツを販売できるイベントに、参加してみないかと声をかけられたんです。私はそれまでクッキーすら焼いたことすらありませんでした。でも、せっかくならやってみようと、友人からもらった料理本をもとに、モルドバの伝統菓子のハニーケーキを焼いてみたんです。いま思うと、本当に恥ずかしいようなできあがりでしたが……」(ターニャさん)
2014年2月ごろからお菓子づくりをはじめ、イベントは同年5月に開催された。そこでターニャさんに、想像だにしていなかった出来事が起こる。
「そのフェスティバルはスイーツを販売しながら、作り手の腕前を競うコンクールだったんです。知らない間に審査をくぐり抜け、私は優勝してしまったんです」(ターニャさん)
ターニャさんのスイーツはニュースやテレビ、雑誌に掲載され、ターニャさんは一躍スーパースターになってしまった。
27歳。パティシエに転身することに迷いはなかった
スイーツフェスティバルでの優勝は、ターニャさんがパティシエに転身する大きなきっかけとなった。
そして何より、スイーツをつくっている間の時間はとてもリラックスすることができた。ターニャさんは、ルーマニアの首都ブカレストの国際ペストリー学校への入学をめざした。
当時27歳。モルドバ政府勤務という”ハイポジション”を手放そうとしていることに対して、不思議に思う人は少なくなかったという。しかし、両親を含め、友人、弁護士学校の先生は彼女の決断を応援してくれた。
――「あなたは何事も全力で取り組めるから、きっと大丈夫」
仕事を続けながら、ターニャさんはパティシエになる準備を進めた。だが、問題は国際ペストリー学校への入学だった。合格率が低いうえ、実際に卒業できる人もごく少数と噂されていた。
「試験を受けて、1週間ほどで結果が出ると聞いていました。全力で取り組みましたが、1週間経っても連絡がなくて……。『パティシエは私の天職じゃないんだ』と思っていました」(ターニャさん)
心の整理を始めていた仕事の帰り、車の中でスマートフォンが鳴った。
表示された電話番号を見た瞬間、ペストリー学校からの連絡だとすぐにわかった。
急いで車を停め、緊張で冷たくなった手で電話に出た。
電話口の声は、こう告げた。
――「おめでとうございます。あなたは、試験に合格しました」
思わず、涙がこぼれた。
「うれしくて、うれしくて、その場ですぐに母に電話しました。だんだん実感がわいてきて、新たな挑戦、人生のステージにワクワクしました」(ターニャさん)
ルーマニアのパティスリーからラブコール
その年のペストリー学校の試験は400人が受験し、36人の入学が決まった。そして、卒業まで至ったのは、ターニャさんを含め7人だった。
パティスリーで実務経験を積むインターンシップでは、学校が提携しているルーマニアの4つのパティスリーすべてからオファーをもらうことができた。
「でも、モルドバに戻りたかったから、お断りしました。それからは、モルドバのお店でパティシエとして働き始めました。そこでつくったウエディングケーキが評判になり、時には1500人用の特大ケーキをつくることもありました」(ターニャさん)
ターニャさんが織りなす、美しいデコレーションの礎ができていく経験だった。ターニャさんへのオーダーは日を追うごとに増えていき、一日に15〜16時間ほど働くこともあった。けれども、「天職」であったため、苦にはならなかったという。
マーストリヒトへ移住した理由は……
2016年、モルドバで人気を博していたターニャさんが、オランダ・マーストリヒトに移り住むことになる。
夫のアレックスさんとの出会いだ。
「私たちは出会ってすぐに意気投合し、3か月後には結婚しました。結婚した次の日に、車に乗ってオランダに移動したね」(アレックスさん)
当時、アレックスさんはマーストリヒトでレストランを経営していた。
「知人の中には『モルドバでこんなに成功しているのに、また一からやり直すの?』と言う人もいました。でも、気にしませんでした。自分がいいと判断したら、そのように動くだけです」
それに、ターニャさんには、夢があった。自分のお店を持つことだ。
「子どものころから好きだったエクレアを極めることにしました。一般的なパティスリーでは、エクレアを取り扱っているとしても、せいぜい1〜2種類でしょう。けれども、Eclair Affairではショコラやキャラメルといった定番のフレーバーはもちろん、ピスタチオ、ゆず、カシスなどいろんな味わいを提供しています」(ターニャさん)
おすすめの「Eclair Yuzu Meringue」をその場でいただく。
こんがりと焼き上げられたエクレア生地の上に、絹のような舌触りのメレンゲがたっぷりと絞られている。中にはゆずのクリームが詰められており、一口頬張ると、メレンゲのほんのりとした甘さと、ゆずの酸味が見事に調和した。
Eclair Affairではエクレアはもちろん、マカロンなどすべてのお菓子に添加物や香料、着色料を使用していない。美しい黄色のゆずクリームも、真っ赤なフランボワーズのジュレも、100%ナチュラルカラーというから驚きだ。色付けにはフルーツやにんじんなどを使用している。
「いまでは、私がモルドバ政府を去ると言ったときに、反対していた人もお客さんになってくれています」(ターニャさん)
現在、Eclair Affairはマーストリヒトに2店舗目を展開する準備を進めている。新しいお店は2024年9月オープン予定だ。
「オランダだけでなく、ドイツやベルギーにも出店したいです」(ターニャさん)
そんなターニャさんに「日本には進出してくれないのか」と尋ねてみた。
「何事も『100%ない』とは言い切れないわね!」(ターニャさん)
その通りだ。Eclair Affairのファンの一人として、本気にして待ちたいと思う。
Eclair Affair公式サイト
取材・文・写真:土橋水菜子